永井 直圓(ながい なおみつ)は、江戸時代前期から中期の大名。大和新庄藩の初代藩主[2]。永井家宗家5代。
寛文11年(1671年)、丹後宮津藩主永井尚征の六男として生まれる[1]。父の跡は兄の尚長が家督を継いだが、その尚長が延宝8年(1680年)6月26日[3]に志摩鳥羽藩主内藤忠勝に殺されたため、永井氏は改易となった[2]。しかし同年8月7日、弟の直圓が1万石で大和新庄藩主として家名を再興することを許された[1][4]。ただし、この頃はまだ桑山一尹が藩主として存続していたため、恐らくは名義だけの領主だったものと思われる[誰によって?]。
元禄14年(1701年)12月18日、能登守に叙任[1]。
宝永7年(1710年)11月3日、病気を理由に家督を次男の直亮に譲って隠居し、元文元年(1736年)5月8日に死去した[5]。享年66。
脚注
参考文献
- 浜垣容二「増上寺で殺された文人大名」『大名廃絶読本』、読本シリーズ第3号、新人物往来社、254-257頁、1991年。
永井氏 大和新庄藩初代藩主 (1680年 - 1710年) |
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桑山家 | |
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永井家 | |
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