永野 清(ながの きよし、1884年〈明治17年〉8月29日[1][注釈 1] - 1935年〈昭和10年〉9月8日[2])は、日本の朝鮮総督府・内務官僚。官選大分県知事、別府市長。
経歴
大分県西国東郡玉津村(現豊後高田市)出身。永野俊吉の長男として生まれる[3]。第五高等学校を卒業。1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1913年、朝鮮総督府警部に任官[3][4]。
以後、朝鮮総督府試補、同警視、鍾路警察署長、朝鮮総督府事務官・咸鏡南道第三部長、同府税関長・仁川税関在勤、江原道内務部長などを歴任し、1924年5月に休職。1927年5月、鹿児島県書記官・警察部長に就任。熊本県書記官・警察部長に転じ、1929年7月に休職[3]。
1931年12月、地元出身者初の大分県知事として着任した[3]。1932年6月28日、知事を休職となる[5]。同年に退官[4]。1935年9月3日、別府市長として赴任するも同月8日に病のため死去[2]。
脚注
注釈
- ^ 『新編日本の歴代知事』1069頁では1877年〈明治10年〉8月。
出典
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、421頁。
- ^ a b 『朝日新聞』(東京本社発行)1935年9月9日朝刊、11面の訃報より。
- ^ a b c d 『新編日本の歴代知事』1069頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』204頁。
- ^ 『官報』第1648号、昭和7年6月29日。
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。