聊城市(りょうじょう-し)は中華人民共和国山東省に位置する地級市。使われる方言は冀魯官話石済片。
地理
山東省の西部に位置し、徳州市、済南市、泰安市、河北省、河南省と接する。
歴史
1997年8月29日に設立。
行政区画
2市轄区・1県級市・5県を管轄する。
年表
この節の出典[1][2][3]
平原省聊城専区
山東省聊城地区
- 1952年11月15日 - 平原省の分割により、平原省聊城専区が山東省聊城専区となる。(17県1鎮)
- 1953年7月2日 - 観城県・朝城県が合併し、観朝県が発足。(16県1鎮)
- 1954年8月7日 - 臨清鎮が市制施行し、臨清市となる。(1市16県)
- 1956年2月24日 - 徳州専区徳州市・夏津県・武城県・徳県・平原県・禹城県・恩県・斉河県を編入。(2市23県)
- 1956年3月6日 (2市17県)
- 濮県が范県に編入。
- 博平県が茌平県に編入。
- 恵民専区徳平県の一部が徳県に編入。
- 恩県が平原県・武城県・夏津県に分割編入。
- 観朝県が范県・莘県・寿張県に分割編入。
- 堂邑県が聊城県・冠県に分割編入。
- 清平県が高唐県・臨清県に分割編入。
- 范県の一部が寿張県に編入。
- 1956年5月 - 泰安専区長清県の一部が斉河県に編入。(2市17県)
- 1958年4月18日 (2市17県)
- 臨清県の一部が館陶県に編入。
- 斉河県の一部が泰安専区歴城県に編入。
- 1958年11月 (2市24県)
- 1958年12月20日 (3市12県)
- 聊城県が市制施行し、聊城市となる。
- 莘県が冠県・范県に分割編入。
- 館陶県が冠県に編入。
- 臨清県が臨清市に編入。
- 陽穀県が寿張県に編入。
- 東阿県が寿張県・茌平県に分割編入。
- 禹城県が高唐県・斉河県に分割編入。
- 徳県が徳州市・平原県に分割編入。
- 楽陵県が商河県に編入。
- 済陽県が臨邑県に編入。
- 平陰県が東平県に編入。
- 武城県が夏津県に編入。
- 1960年1月4日 - 商河県が楽陵県に改称。(3市12県)
- 1960年3月28日 (3市11県)
- 東平県の一部が分立し、済南市平陰県となる。
- 東平県の残部が済寧専区汶上県に編入。
- 済南市長清県の一部が肥城県に編入。
- 1960年4月2日 (3市8県)
- 肥城県が済南市に編入。
- 楽陵県・臨邑県が淄博専区に編入。
- 1961年9月28日 - 徳州市・斉河県・平原県・夏津県が徳州専区に編入。(2市5県)
- 1961年10月5日 (2市9県)
- 高唐県の一部が分立し、徳州専区禹城県となる。
- 范県・冠県の各一部が合併し、莘県が発足。
- 冠県の一部が分立し、館陶県が発足。
- 寿張県の一部が分立し、陽穀県が発足。
- 茌平県・寿張県の各一部が合併し、東阿県が発足。
- 1963年3月16日 (11県)
- 聊城市が県制施行し、聊城県となる。
- 臨清市が県制施行し、臨清県となる。
- 1964年2月29日 (10県)
- 范県の一部が莘県に編入。
- 范県が河南省安陽専区に編入。
- 寿張県の一部が河南省安陽専区范県に編入。
- 1964年6月16日 (10県)
- 莘県の一部(前任屯村・後任屯村)が河南省安陽専区南楽県に編入。
- 河南省安陽専区南楽県の一部(楊寨村・東節村・寨節村)が莘県に編入。
- 1964年10月31日 - 寿張県が陽穀県、河南省安陽専区范県に分割編入。(9県)
- 1965年3月12日 (8県)
- 館陶県の一部が臨清県・冠県に分割編入。
- 館陶県が河北省邯鄲専区に編入。
- 臨清県の一部が分立し、河北省邢台専区臨西県となる。
- 1967年2月 - 聊城専区が聊城地区に改称。(8県)
- 1983年8月30日 (2市6県)
- 聊城県が市制施行し、聊城市となる。
- 臨清県が市制施行し、臨清市となる。
- 1997年8月29日 - 聊城地区が地級市の聊城市に昇格。
聊城市
- 1997年8月29日 - 聊城地区が地級市の聊城市に昇格。(1区1市6県)
- 2019年6月27日 - 茌平県が区制施行し、茌平区となる。(2区1市5県)
交通
脚注
外部リンク
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第1回指定 (1982年) | |
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第2回指定 (1986年) | |
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第3回指定 (1994年) | |
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増補 | |
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指定時の地名のため、現在の行政区画の変更により一部に変化がある: 江陵→荊州区、襄樊→襄陽市、商丘(県)→睢陽区、日喀則→桑珠孜区、海康→雷州市、吐魯番市→高昌区、蓬萊市→蓬萊区、会理県→会理市、庫車県→庫車市 |