荒木 宏(あらき ひろし、1928年4月1日 - 1995年1月14日)は、日本の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、2期)を務めた。自由法曹団幹事[1]。
来歴
兵庫県出身。1954年関西大学二部法学部卒業後[2]、小学校教諭[3]から弁護士に転身。1959年には自由法曹団に加入し、労働運動の弁護などに携わった[4]。
1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧大阪5区(堺市、岸和田市、泉大津市、貝塚市、泉佐野市、和泉市、高石市、泉南市、泉南郡、泉北郡[5])から出馬し初(トップ)当選。
続く1976年の第34回衆議院議員総選挙でも同区から出馬し再選を果たすも、体調不良により1979年の第35回衆議院議員総選挙には出馬せず引退を表明する。地盤は引退当時、堺市選出の大阪府議会議員であった藤田スミに譲る[6]。
1995年1月14日、脳梗塞のため大阪府大阪狭山市の病院で死去[7]。66歳。
脚注
- ^ 朝日新聞1976年12月6日付5面「総選挙130区当選の511人」
- ^ 衆議院総選挙で十名が当選関大(関西大学新聞 昭和52年1月1日)
- ^ 朝日新聞1972年12月11日5面「当選した491人」
- ^ 東中光雄・関西合同法律事務所編著「特攻隊から共産党代議士へ 東中光雄という生き方」の紹介自由法曹団通信 1352号 大阪支部 石川元也
- ^ いずれも選挙当時の自治体名
- ^ 泉北NTで藤田スミさんや女性後援会と宣伝、岸和田で「しんぶん赤旗」のおすすめ宮本岳志日本共産党衆議院議員のブログより
- ^ 朝日新聞1995年1月15日付31面
参考文献
関連項目