長谷川 潤
読売ジャイアンツ時代 |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
東京都府中市 |
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生年月日 |
(1991-06-15) 1991年6月15日(33歳) |
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身長 体重 |
186 cm 75 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2015年 育成選手ドラフト8位 |
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初出場 |
2016年5月6日 |
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最終出場 |
2016年9月17日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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派遣歴 |
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コーチ歴 |
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長谷川 潤(はせがわ じゅん、1991年6月15日 - )は、東京都府中市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
中学時代は武蔵府中シニアに所属[2]。成立学園高等学校では、西潟栄樹(桐蔭横浜大学-トヨタ自動車)とダブルエースを担い、西潟のあとを受けるリリーフ投手として活躍。3年生夏は東東京都大会ベスト4まで進んだ[3]。大学では3年春秋でベストナイン[4]。
独立リーグ時代
金沢学院大学卒業後は、ベースボール・チャレンジ・リーグの石川ミリオンスターズに入団(背番号は20)。建築現場でのアルバイトを掛け持ちしながらプレーした[5]。2014年末にはコロンビアリーグに派遣され、5勝を挙げた[1]。
プロ入り後
石川ミリオンスターズでコーチを務めていた多田野数人の指導もあり、2015年9月に読売ジャイアンツの入団テストを受けて合格。2015年10月22日、プロ野球ドラフト会議で育成8位指名を受けた[6]。11月23日の新入団発表にて背番号は022と発表された[7]。
2016年3月28日、ウーゴと共に支配下選手登録されることが球団から発表され、背番号は96に変更された[8]。
同年5月6日に一軍へ昇格して対中日ドラゴンズ4回戦(東京ドーム)で、プロ初登板初先発のマウンドを踏んだ。4回まで無失点で抑えていたが、5回に2失点で逆転を許しランナーを2人残して降板。2番手として登板した田原誠次が3塁偽投によるボークと、アンダーソン・エルナンデスに適時二塁打を浴びた為、4回2/3を投げて8安打4失点で敗戦投手となった[9]。
2017年は一軍公式戦への登板がなく、10月4日に球団から戦力外通告を受けた[10]。
2018年からは、巨人の打撃投手として引き続き在籍したが、トレーニングを継続しており、同年オフに現役復帰を目指し退団。翌年1月には肘のクリーニング手術を受ける。
2019年2月12日、古巣・石川が練習生として獲得を発表し、現役復帰した。4月1日、正式に選手登録された。同月7日の開幕戦・対富山GRNサンダーバーズ戦(金沢市民野球場)に先発登板し、5回1失点の投球で3年ぶりの公式戦登板を勝利で飾った[11]。16試合に登板して5勝5敗、防御率3.96を記録。11月12日の12球団合同トライアウトに参加した[12]。
現役引退後
2020年1月18日、TBSテレビ『バース・デイ』に出演。前述のトライアウト受験後もNPB球団からオファーが届かず、現役引退決断を父親に報告する様子が放送された[13]。2月22日、石川が本人の申し出より引退を受理したと発表。今後は指導者を目指すとしており、2月7日には学生野球資格回復が認定された[14]。
その後、2020年春からは母校の金沢学院大学でコーチを務めていた[15]。コーチ歴2年間で、松井友飛と長谷川威展がプロ入りを果たした[16]。
2022年4月からはジャイアンツアカデミーのコーチを務めている[17][18]。
詳細情報
年度別投手成績
表彰
- NPB
記録
- 投手記録
- 打撃記録
独立リーグでの投手成績
背番号
- 20 (2014年 - 2015年)
- 022 (2016年 - 同年途中)
- 96 (2016年途中 - 2017年、2019年)
- 210 (2018年)
登場曲
- 「All the Above (feat. T-Pain)」Maino (2016年 - )
脚注
関連項目
外部リンク