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早朝の秋葉原電気街
秋葉原クロスフィールド 秋葉原ダイビル (左)と秋葉原UDX (右)
JR秋葉原駅電気街口
万世橋 交差点(2013年 7月21日 )
夜の秋葉原(2015年 4月13日 )
外国観光客に人気のストリートカート
秋葉原 (あきはばら)は、東京都 千代田区 の秋葉原駅 周辺、主として東京都千代田区外神田 ・神田佐久間町 および台東区 秋葉原 周辺を指す地域 名である。
概要
第二次世界大戦 後の日本 において、秋葉原は闇市 として発展した。その後、秋葉原駅北西側(電気街口)を中心として、高度経済成長 とともに多様な電子機器 や部品 (ハードウェア )およびソフトウェア を取り扱う店舗 などが建ち並ぶ日本一の電気街 として発展した。その後、バブル崩壊 や、大型家電量販店 、ディスカウントストア の台頭などによる家電市場の衰退で、電器店 は主力商品をパソコン に移していく。これにより、パソコンを好むマニアが集中し、秋葉原は一転、オタク の街として変貌を遂げた。2000年代 には『電車男 』に代表されるアキバ系 ブームより、オタク の街としてのイメージは全国的に定着し、世界的な観光地 としても注目された。秋葉 (あきば)・アキバ ・AKIBA の略称で呼ばれる。2005年 にはAKB48 の本拠地であるAKB48劇場 が開業した。また、同年、秋葉原駅東口に家電量販店を中核とした大型商業施設のヨドバシAkiba が開業した。
2010年代 以降はECサイト の普及と地価上昇などでオタク 向けの小規模な小売店 が閉店し、メイド喫茶 など大資本によるコンセプトカフェ が進出した。また、2000年代 に東京都 が秋葉原地区開発計画(土地区画整理事業 )による再開発事業 「秋葉原クロスフィールド 」を推し進めて秋葉原UDX や秋葉原ダイビル 等の超高層ビル が建設され、オフィス街 としての性格も持ちつつある。
一方、秋葉原駅の北西側一帯には、かつて神田青果市場 (ヤッチャバ)があったため、近隣には現在でも海藻や穀類などを扱う商店が点在し、当時の名残を留めている。
地理
本項で扱う「秋葉原」の明確な定義はないが、東京都が策定した都心等拠点地区 における「秋葉原地区」の範囲は、次の通りである[1] 。
秋葉原電気街とサブカルチャー 関連の店舗は主に秋葉原駅 周辺および中央通り の万世橋 北詰から末広町駅 のある外神田五丁目交差点までを中心に広がっている。
元々江戸 の町人地 であり、秋葉原電気街の外側は主にオフィス街 だが、古くから建っている民家も見ることができる。鉄道各線の駅が近く、都心 の一等地として地価・家賃ともに高価になる傾向がある。
昭和通りから東側の地域は、都心等拠点地区における秋葉原地区の範囲に含まれないが、神田佐久間町、神田平河町 、神田佐久間河岸 、神田和泉町 、神田松永町、神田練塀町、東神田 三丁目の各町会は「秋葉原東部町会連合会」を組織して各種行事に参加しているほか[3] 、神田祭 では「秋葉原東部地区連合」として神輿宮入 を行っている[4] 。
歴史
前史
現在の秋葉原に当たる地域は、徳川家康 の江戸 入府後、江戸幕府 二代将軍 ・徳川秀忠 の時代に神田川 が現在の流路を通るように開削されると、川沿いに材木商 が集まり、神田佐久間町が起立したほか、大部分は大名屋敷 ・旗本屋敷などで占められた。しかし、江戸の人口が拡大するにつれ、大名 や旗本 は大火 等を契機に次々に郊外へ移転し、跡地には町民が代地 として与えられるなどして町人地が拡大していった。
江戸時代 、神田川に万世橋はなく、筋違橋 (すじかいばし)と呼ばれる橋がやや上流に架かっており、街道 はここから現在のコトブキヤ 秋葉原館やAKIBAカルチャーズZONE のある道(現:特別区道千第678号)を通って、住友不動産秋葉原ビル に突き当たって右に折れ、中央通りに出るルートをとっていた[5] 。この道は徳川将軍家 の寛永寺 参詣道であったことから下谷 御成街道 と呼ばれた。総武本線ガードの名称である御成街道架道橋 に名残を留める。
大火の度に代地町が細切りに与えられ、町の付け替えも頻繁に行われたため、幕末 には50近くの微細な町が複雑に入り組み、かつ方々に飛地 を有する複雑な町割となっていたが、明治 の初めに武家地を合わせて20町近くに整理された。詳しくは外神田 を参照。
「秋葉原」の誕生
1870年 1月(明治 2年12月 )の大火を受けてできた火除地 (空地 )に、明治天皇 の勅命で1870年(明治3年)10月に宮城 (江戸城 )内の紅葉山 から鎮火三神を勧請 して「鎮火社」が創建された。しかし、江戸の街では火防の神として神仏混淆 の秋葉権現 が広く信仰を集めていたことから、鎮火社についても秋葉権現が祀られているものと人々が誤解して「秋葉社」「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火除地を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことで、「秋葉原」の地名が誕生した。神田筋違見附(万世橋付近)やこの空地にはヒラキ が立ち並び、今の講談 や浪曲 、かっぽれ などが口演をしていたり[6] 、時にはサーカス (チャリネ一座の公演)が開かれたりした。
当初、秋葉原はこの空地に相当する神田花岡町域のみを指していたが、秋葉原駅が開業し、旅客駅として利用されるにつれ、その指す範囲も拡大して現在に至る。
鎮火社は1888年 (明治21年)に日本鉄道 が建設していた鉄道線(現在の東北本線 )が上野 から秋葉原まで延長されるのに伴って東京府 下谷 入町(台東区 松が谷 三丁目)に遷宮 して、秋葉神社 となった。
「台東区秋葉原」の地名は、1964年 (昭和 39年)10月1日 の住居表示 施行時に「台東区下谷松永町」と「台東区下谷練塀町」から変更されたものである。
電気街の形成
電気街の形成には、二つの要因があった。一つは終戦直後、近くに位置する電機工業専門学校(現・東京電機大学 )の学生がアルバイトで始めたラジオの組み立て販売が大盛況となり、ラジオ部品を供給する電器関係の露天商 が集中したことである。ところが1949年に、GHQ が道路の拡幅整理のために露店撤廃令を施行したことで、闇市 は危機に陥る。GHQの政策に対して露天商組合が陳情した結果、東京都と国鉄が秋葉原駅のガード下に代替地を提供するという措置がとられる。そして露天商がそこへ凝集されたことが秋葉原電気街の始まりとされる。もう一つの要因は、廣瀬無線電機 などの小売業者や二次卸し店がが仕入れの目的で多く訪れたことである。その結果、秋葉原は安いという評判が広まり、交通の結節点ということもあって、一般客も集まるようになっていった。
その後は「三種の神器」に代表される戦後の家電ブームに後押しされ、1970年代には全国の家電市場の1割を1平方キロメートルに満たない領域で担う日本一の電気街に成長した。
電気街からオタクの街へ
1980年代末頃から、バブルの崩壊とともに台頭するコジマ などの家電量販店 やディスカウントストア に秋葉原は家電市場を徐々に奪われていく。北関東地方を中心に北関東YKK の量販店大手三社が着々と増えていった。
家電市場の衰退とともに電器店 は主力商品をパソコン に移していく。1990年に六階建てのビル全体をコンピュータ関連商品に充てた大型専門店ラオックス ・ザ・コンピュータ館がオープンしたことが一つのターニングポイントとなった。以降、他の大型店もチェーン店を専門分化させ、これに伴い若い男性のパソコンマニアたちが家電を買いに来る家族連れに取って代わって秋葉原の中心的客層となった。
1995年から96年にかけて放映されたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン 』のヒットが引き金となり、97年以降、海洋堂 など多くのガレージキット 店が秋葉原の一等地へ移転し、予想を超える売り上げをたたき出したことで、雪崩を打ったように同業の専門店が競って進出した。またAKB48 の劇場も2005年に営業を開始し、アキバ系 アイドル ブームの嚆矢となった。
オタクの街から観光地・オフィス街へ
21世紀には区画整理 により秋葉原駅 を中心に多くの複合ビルが建設され、観光地やオフィス街に変化を遂げており、老若男女国外問わず訪れる街になった。秋葉原の一般化が進むにつれて、かつてオタクが通い詰めたアンダーグラウンドな店は軒並み閉店し、一般客や観光客向けのカジュアルな店が数多く並ぶようになっているが、同時期の地価 上昇と東京都 が推し進めたオフィス街 化により、一般人が立ち寄れる店舗自体が減少している。ECサイト の普及で部品やグッズのために外出する必要が無くなったことも、秋葉原の小売店の減少に対してかなり大きく影響を与えている。
小規模営業店の集合体による、グレーゾーンでシステム化され切らない不完全さ[注釈 2] が様々な解釈の余地を残し、客にも深い知識を求められる反面アンダーグラウンドな魅力にも繋がっていた秋葉原において、大資本が経営する分かりやすく画一的な店(特に大手家電量販店 やステレオタイプ な萌え を提供するメイドカフェ 等)が乱立し、小規模営業店が老朽化した施設の建て替えと物件価格の高騰などにより軒並み撤退してしまったため、もはや秋葉原は文化的に形骸化したと見る向きもある[12] 。
一方で、明治時代 の秋葉原は青果市場の街であり、そこから時代に合わせた変遷を続けてきたことを考えると、ある意味では秋葉原らしい変化と捉えることも出来る。なお、日本農業新聞 本社が秋葉原にあるのは、青果市場(神田青果市場 )がかつて存在したことに由来する。
地名の読み方
明治初頭から火災が頻発したことから、火災鎮護の祈願所として秋葉神社 が建立された[13] 。このことから「あきはっぱら/あきばっぱら(秋葉ツ原)」「あきはのはら/あきばのはら(秋葉ノ原/秋葉の原)」「あきはがはら/あきばがはら(秋葉ケ原/秋葉ガ原)」などと呼ばれ始め、呼称は統一されていなかった。書き方に関しては、漢字表記のカナ部分を小文字化したものや、読みは「あきばのはら」等だが書きは「秋葉原」とカナ部分を省略したものもある。
当地区の呼称が「あきはばら」として定着するのは、鉄道駅 の開設以降とするのが定説である[14] 。後に地名の読み自体も「あきはばら」となる。なお、1890年 (明治 23年)に開業した時点では「秋葉原駅(あきはのはらえき、英語 : Akihanohara Station )」であり[15] [16] 、旅客 は扱わない貨物専用駅だった。駅の呼称としては「あきはのはら」から「あきははら」に変化した後、1907年 (明治44年)に「あきはばら」へと変更された[17] 。
現在は日常会話やメディア等で広く「あきば」という略称が使われ定着している。
なお、地名の由来とされる秋葉大権現発祥の地、静岡県浜松市 天竜区 春野町 にある秋葉山本宮秋葉神社 は「秋葉」を「あきは」と読む。
いずれにせよ、「あきはばら」が本来だという説も「あきばはら」が本来だという説も、どちらかのみが正しいという論旨を支える歴史的資料は無く、一方のみが正しいとまでは断定できない。
沿革
秋葉原クロスフィールド 内秋葉原ダイビル (2005年 3月竣工)
電気街口(2003年)'
地域
秋葉原(2007年3月17日)
セガのアミューズメントセンター「秋葉原GiGO」(2006年)
「世界有数の電気街」として有名。大須 、日本橋 とともに日本三大電気街として広く認識されている。さらには日本全国はもとより、世界 各地から観光客 が訪れ、まさに「世界有数」である。
だが「家電量販店がひしめき合っている」、「家電品 が安く買える」という意味での電気街は、バブル崩壊 後の不景気 による節約志向や、郊外に店を構える大型量販店 が台頭してきたこともあって1990年代から徐々に衰退の方向にあり、扱われる機器類・ソフトウェア類にも時代の変遷が色濃く現れている。
一般向けの量販店が通常取り扱わない電子部品 を扱う販売店(その多くは終戦直後に神田須田町 界隈の闇市 で露天商 として創業したが、GHQ による「露店撤廃令」で現在の地に移動した)は現在でも秋葉原駅近くの総武線ガード下や裏通りを中心として根強く生き残っており、「秋葉原電気街」の源流は今もなお命脈を保っている。これらの商店では他では得難い部品も多々流通している。
昭和中期はハイファイオーディオ やアマチュア無線 さらには音楽(特に輸入版ソフト)の愛好家、1980年代頃からはパソコン マニア が集まるマニアの街として知られた。衰退しつつあった秋葉原系の家電量販店に変わり、1990年代には当時普及しつつあったパソコン関連の店が増加していった。
1990年代後半にはそれらのPC・IT 関連の店だけでなく、アニメ・ゲームマニア向けのソフトウェア(コンテンツ産業 の商品を含む)を取り扱う店が増えてくる。最初のうちはアニメやゲームを好むのは一部の人間だけとされていたが、次第にオタク文化が広く大衆化した。秋葉原での家電販売が北関東YKK やビックカメラ ・ヨドバシカメラ に押されて1990年代以降不振になり、パソコンショップも通販シフトしていった一方で、好調に推移するコンテンツ産業の中心地として注目されていった。こういった文化や秋葉原に集う人々の総称として2000年代 中頃に「アキバ系 」という言葉も生まれた。
秋葉原という街全体がコンテンツ産業の商品を幅広く扱う街となってからは、マスコミ に秋葉原の文化が頻繁に取り上げられるようになり、この頃より秋葉原電気街は「アキバ」として世界に広く知られる様になる。こと21世紀 に入り日本のコンテンツ産業がインターネット経由で知られるようになると、日本以外の国の人々もアニメや漫画に興味を持ち秋葉原を訪れるようになった。
2005年のつくばエクスプレス 開業とヨドバシカメラマルチメディアAkibaの開店は秋葉原の大衆化に拍車を掛けることとなったが、その一方で古くより秋葉原に地盤をもっている家電量販店は販売不振から、店舗の統廃合や撤退が相次いだ。同年には電気街口北側の駐車場跡(かつての神田市場の跡地)に秋葉原クロスフィールドの施設として、産学連携 プロジェクト やオフィス機能などを持つ超高層ビル の秋葉原UDX や秋葉原ダイビル 、超高層マンション のTOKYO TIMES TOWER も誕生し、ヨドバシカメラと並びそれまでの秋葉原のイメージとは大きく異なる存在感を放っている。この頃より路上での販売行為に対する監視が厳しくなった。それまで裏通りの路側帯の内側に陳列することで摘発されないという暗黙の了解が存在していたが(通称「白線ルール」[41] )、2006年以降は警察より厳重に注意を受けるようになったため、出店者はビルの敷地内や駐車場を利用して出店するようになった。
2008年には東京都交通局 が運行を開始した観光路線バス「東京→夢の下町」の経由地に秋葉原が含まれているなど、秋葉原は急速に観光地化した。休日の秋葉原は女性 だけの集団や、カップルで歩いている姿も珍しくなくなり、カメラ を手にした外国人観光客もあちらこちらで見ることができ、「秋葉原電気街」の変化は特に著しいものとなった。
電気街と山手線を挟んで反対側に位置する昭和通り側は住宅と大小さまざまな企業が密集したオフィス街となっており、平日には多くのサラリーマンやOLが歩いている。なお、用途地域は全域において商業地域である。
他方で秋葉原は電気街だけでなく、かつては青果 市場 の町としての側面もあった。1989年に大田市場 に移転するまでは、秋葉原駅前に神田青果市場が存在し、神田市場向けに営業していた飲食店や青果店が多く軒を連ねていた。神田市場跡地は再開発で秋葉原クロスフィールド へと生まれ変わったが、当時から変わらず営業している一部の店舗が往時を偲ばせている。また、秋葉原駅には1970年代まで貨物駅 があり、当時多くの運輸 会社が秋葉原周辺に拠点を置いていた。日本通運 が2003年まで秋葉原に本社を置いていたことや、日本農業新聞 の本社が秋葉原にあることはその名残でもある。
主に販売されている商品
この節は検証可能 な参考文献や出典 が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加 して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方 ) 出典検索? : "秋葉原" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2013年1月 )
前述した通り秋葉原は電器店街として国際的にも知られている街であるが、そこで扱われている商品は時代の流れに合わせて激しく変遷を経ており、必ずしもエレクトロニクス 関連の商品や家電製品ばかりというわけではない。
電子部品
総武線ガード下には複数の電子部品販売店が入居する(上)、販売店の一角(下)
(
秋葉原ラジオセンター 、2008年10月)
電気街の元祖ともいうべき、戦後のラジオ部品販売(初期には日本軍 やアメリカ軍 からの真空管などの電子部品のみならず、戦車 の転輪等の放出品があったという)に由来する。総武線ガード下に並ぶ店舗は僅か2畳程度の店もあり、派手さこそないもののIC やコンデンサ 、スイッチやコネクタといった小物などの販売店が営業中であり、特定の部品のみ扱う専門店も見られる。
一見した限りでは零細商店に見える店舗も、事業の発展により部品卸業者として発展し現在では本社機構は近隣のビルに構えて各種企業を相手にビジネスを展開し、電気街の店舗はパイロット店・個人向け販売店やホビー向けの色彩の強い店として営業を行っていることも珍しくない。
様々な部品が一つずつ購入できるので、学生や研究者が実験などに使う部品を調達したり、メーカーの技術者が開発中の商品用の(試作や調整用として)ちょっとした部品を秋葉原で調達することも多い。
電子部品調達という点では、秋葉原は今でも世界一の「電気街」と言っても過言ではない。電子部品に限らず、工具 や測定器から線材・ネジ・ケース類・結束用部材などの、電気工作や工事に必要と思われるものは、およそ何でも調達でき、電気・電子関係と目される機器製作においては、ほぼ秋葉原内の店舗を巡るだけで、必要な工具や資材が入手可能である。時代の変化と共に一般向けの生産が終了している真空管であっても、主にロシア 製の同等品が陳列販売されている一方、廃番品の中でも需要の根強い部品(特定型番のゲルマニウム トランジスタ など)については品薄となり、今では入手不可能となったものも存在しているが、このようなものについては「秋葉原で入手できないものは諦めるしかない」という状況が起きる一方、逆に店舗やメーカーの棚卸 などで少量発見された廃番品が在庫処分品として売り出されることもある。
家電製品
秋葉原店
家電製品、とりわけテレビや洗濯機などの白物家電 は秋葉原が長らく取り扱っている販売面で見ても国内の最先端地であった。
企業や店舗チェーンとして現存しているかは別として、秋葉原から発祥して後に総合家電量販店として一時代を築いた店舗にも、最初は業者などを相手にした小売・卸売店からスタートしている場合が多い。1960年代 から1970年代 にかけ、テレビ ・冷蔵庫・洗濯機・オーディオ機器 などが一般に大量普及していく過程で、多くの店が現在のような家電量販店業態に転換、全盛期には関東地方 全域・新潟県・山梨県・静岡県辺りまで商圏があったといわれる。
しかし、利便性や効率性で勝る郊外型家電量販店が台頭した1990年代 以降は厳しい価格競争に晒されることとなる。元々、秋葉原の家電量販店は大手と呼ばれる規模でも、その旗艦店を除けば多くは小・中規模の店舗が分散して立地していた。これは、大規模店を建てる広い土地を確保しづらかったためで、狭さを高層化で補ったことによりコストが嵩んだ。また、大規模店を計画しようにも、大規模小売店舗法 や地元商店会の反対で、簡単には出店できなかった[注釈 3] ほか、余所からの家電店の進出を暗に妨害するなどして、電気街内で競争を避ける慣れ合いの体質が存在した。このほか、電気街周辺に需要に対して駐車場が少ないなど、環境面の要因もあった。これに関しては、神田青果市場跡地が駐車場に転用されるなど対策はとられたものの、抜本的な解決には至らなかった。
そこへ折からの家電不況も重なり、1993年にシントク やヒロセムセン など中堅量販店が相次いで廃業したのを皮切りに、電気街の家電量販店は縮小の方向に転じていった。1990年代中期に入るとパソコン本格普及 の過程でラオックス などパソコンに力を入れていた店が一時的に活況を呈したが、2000年代初頭にはバブル崩壊以降経営不振が続いていたロケット や第一家庭電器 などが行き詰った。
2000年代に入ると、郊外型量販店の他にカメラ系量販店を中心とした都市部駅前の超巨大店舗との競争も本格化し、さらにパソコンの需要の頭打ちや単価下落などで業況が悪化。2005年に電気街から線路を挟んだ反対側にヨドバシAkiba が開業すると、それに押される形で急速に量販店の統廃合が進みサトームセン やナカウラ などが消え、現在では電気街側に残る大型家電量販店は数えるほどまでに減少した。現在、残っている家電量販店は大手家電量販店の傘下に入ったり、外国人向けの免税店業態に転換する等して生き残りを図っているのが現状である。
一方で、海外仕様の家電を多く取り扱っている店は外国人観光客で繁盛しており、大勢の中国人観光客が大型バスで乗り付け、家電製品や日用雑貨などを大量に購入していく姿は、日本のメディアでもしばしば報道される。
アマチュア無線機
ラジオ部品販売とも関連するもので、アマチュア無線 が映画 (原田知世「私をスキーに連れてって 」等)などで取り上げられて大きなブームとなった1980年代 までは中央通り 沿いなどを中心に多くの販売店があったが、アマチュア無線市場の縮小に伴い2008年時点では4社に減少した。アマチュア無線の一分野であるパケット通信 がPCの知識を必要とするなど、比較的ユーザー層が近いこともあり、全盛期にハムショップとして知られた店舗には後にPCパーツ系のショップへと業態転換したものも多い(例:九十九電機 →Tsukumo、トヨムラ→T-ZONE )。
なお、かつては「無線のメッカ」といえば秋葉原ではなく巣鴨 のことであった(日本アマチュア無線連盟 本部があることに由来する)。そのことから、当初は巣鴨周辺に店舗を構えていた無線機器や無線関係のパーツ・電子部品の販売店が、時代の変化と共に秋葉原に移転して、現在は電子部品などのショップとなっているという歴史的経緯を持つ店舗も存在する。このケースとして知られる現存するショップには千石電商 があり、その本社は現在も巣鴨駅 にほど近い文京区 千石に所在している。
鉄道模型
ポポンデッタ秋葉原店
ガレージキットの店が秋葉原に進出し始めたのは1990年代後半だが、2006年まで交通博物館 が近隣に存在していたこともあり、鉄道模型 は鉄道関連グッズは秋葉原界隈で古くから取り扱う店舗が存在する商品の一つである。
近年は新規メーカーの参入や車両形式ごとの作り分けにより製品のバリエーションが著しく増大しており、店舗数も家電量販店での取り扱い開始やホビーショップの新規出店のみならず、中古鉄道模型専門店やレンタルボックス、委託販売を利用した中古市場の成立により著しく増加しており、日本有数の激戦区となっている。因みに現存する日本最古の鉄道模型メーカーであるカワイモデル も、秋葉原(正確には神田須田町 )に店舗を持つ。
パソコン(PC)関連
1976年 にNEC がTK-80 の宣伝・普及のため、秋葉原ラジオ会館 にショールームBit-INN を開設した事を皮切りに、当時はマイコン と呼ばれたパソコン 関連商品を扱う店が登場したとされる。後に8ビットパソコン のようなホビーパソコン と呼ばれる趣味に供するためのコンピュータ市場が発生すると、メーカー直営から専門店まで、幅広い商店が軒を連ねた。この当時より無線機器やそのパーツ類を扱っていた商店が趣味の電子機器として個人向けコンピュータ製品を取り扱い、その中からは後にパソコンショップ に業態転換するものも現れた。
1980年代以降にはビジネス関連で業務のOA 化が進んだ事から、家電製品などとともにメーカー製PCとその周辺機器の販売が次第に増え始め、企業相手にOA機器を取集う店舗がその取扱品の一つにパソコンを含めるケースも増えていった。販売商品の主流は当時日本国内で大きなシェアを占めていたNECのPC-9800シリーズ やエプソン のNEC互換機で、ホビーユースでも8ビット御三家 のように三強が覇権を争う市場が存在したが、この競争で主要シェアを獲得できずマイナーな存在に甘んじた他のアーキテクチャ のみを専門に取り扱う店も普通に存在し、また商売として成立していたのが当時の秋葉原電気街の奥深さであり、地方都市では通信販売以外に事実上入手手段が無い製品や補修部品であっても秋葉原ならば専門店で店頭入手が可能ということも多かった。とりわけマッキントッシュ やMSX などの専門店は長らく残っていた。
1990年代初頭からは、日本国内ではまだマイナーな存在であったPC/AT互換機 (当時はDOS/V機 と呼ばれる事が多かった)が台頭し、ショップではハンドメイドで組み立てたPCの販売が始まり、ユーザー自身で組み立てる自作パソコン 向けのパーツを扱う店も見られるようになる。当時主流であったNECのPC-9800シリーズ よりも安価で、かつこのパーツの中にはメジャーメーカーではなかなかお目にかかれない特異な仕様のカスタムパーツも多く、アングラ を好む自作パソコン ユーザがアキバに集結する源流を作り出した。
爆発的な需要を生み出したオペレーティングシステム であるWindows 95 のリリース以降は、それまでの白物家電 に替わってパソコン関連製品が秋葉原の販売の主流を占め、それに伴って数多くのパーツショップが秋葉原界隈に林立し、一時期は秋葉原を指して「パソコン街」と呼ばれることも多かった。このこともあり、バブル崩壊 以降に、数多くの老舗家電量販店が低迷や破綻に至り都内では低下の一途を辿っていた秋葉原電気街のブランド 力も、こと当時成長産業であったパソコンに限れば、その後もしばらくの間は地方や郊外部ならば十分に通用するものであった。また、従来からの店頭販売主体のパソコンショップのみならず通販主体のパソコンパーツショップや直販メーカーでも、秋葉原に直売店舗を構えることを一種のステータスや信用と見なすパソコン小売業界の黎明期からの考え方が当時はまだ根強く存在していた。そのため、1990年代には「アキバ電気街のパソコンショップ・PCメーカー」という箔 付けを求めて、他地域創業のパソコン関連企業・商店が秋葉原へと進出し、販売戦略に利用した事例は数多い。この分野では現在秋葉原に店舗を設置していないものや現存しないものにも、過去に秋葉原へと進出し店舗を設置していた事例は枚挙に暇がなく、店舗のみならず本社や主要な営業拠点を置いたものも少なくない。
経度や時差の都合などもありOSなどの基幹ソフトや自作パーツは世界で最初に販売が開始されることも多い。しかし、1990年代後半からコモディティ化 していったパソコンのセットや主要パーツの販売単価の低下や、激しい競合の中で一部の店舗が過剰な価格破壊 路線に走ったことに起因する慢性的な低利益率の業界体質[42] 、通信販売 の普及、大型家電量販店との競合などによる集客力の低下、2005年のつくばエクスプレス線 開業や再開発計画の進捗が要因となった家賃の高騰[43] などが複合的に重なり、ここ数年では経営的苦境に追い込まれた老舗ショップ・著名ショップの撤退や経営破綻が相次ぐなど衰退傾向を如実に示しており、全盛期の勢いは見る影もない。しかし、全国的にパソコンショップや自作ショップという業態そのものが衰退傾向にある今もなお、ホビー用途の自作PC用パーツを中心に周辺機器類、各種サプライ、中古・ジャンク商品の充実ぶりでは他地域の追随を全く許さず、前述した自作PCユーザーが集う街としてのアキバの集積度は国内屈指のものである。
また、メーカーが発表していないマイナーなモデル(特定の法人向けの専用仕様品など)や発表前の先行モデル(技術者向け評価版を含む)など、いわゆるバルク品 と呼ばれる一般ユーザーへの発売を前提としない商品を店頭で取り扱っている店舗は現在でも若干数存在しており、通信販売での取り扱いも無く秋葉原に来なければ到底入手できない特殊なパーツが掘り出し物として出てくることもある。
このようなコンピュータ製品販売の全国でも比類なき集積度の高さゆえに働く地理的な有利性は大きく、これを活かして新発売の商品をメーカーの発売日前に販売され話題となることも珍しくないほか、Microsoft Windows の新バージョンやiPhone ・iPad の新型モデルなど一般大衆の注目を集める新商品の発売時には秋葉原界隈の店舗に大量納品され開店時には店頭に行列が出来たり、秋葉原の販売店で新発売の記念セレモニー が行われることもある。このような光景をマスコミが取材しニュース番組などで放映されることも恒例のものとなっている。
ジャンク品関連
上述の通り、電気街の歴史をその発祥まで遡ると、終戦直後の闇市における駐留軍などが放出したジャンク品 (がらくた)と呼ばれる無線機や部品類の販売にたどり着く。2000年代ではパソコンやデジカメ 、家庭用ゲーム機の中古品 を扱う店舗も増加した。店舗を構えていることもあるが、土日祝には路上やガレージでジャンク品を販売している者も見ることができる。どの店に何があるかや何が入荷しているかというのは、目利きができる人にとってはある程度予測できるが、観光客にとっては一種の運である。ジャンク品専門店巡りは、秋葉原ならではの楽しみといえる。
近年、日本各地に郊外型の大規模中古品店舗(ハードオフ など)が増え、ジャンク品も扱われるようになってきたが、秋葉原は質・量共に他地域の追随を許さない。特に保守・組み込み系パーツでメーカーや大口ユーザーが放出するようなジャンク品は、日本でも秋葉原でしか扱われないことが多く、わざわざジャンク品を目的に秋葉原に来る人もいる。またジャンク関連の店舗は地区のあちこちに存在するため、目的のものを見つけるのは容易なようで難しく、マニアともなると目的が無くてもリピーター 的にジャンク屋に足を運ぶことも珍しくない。
扱われるジャンクは、無線機器からコンピュータ関連(新旧問わずパーソナルコンピュータからサーバー 関連まで)、あるいは映像音響機器のほかコンシューマーゲーム からアーケードゲーム 、パチンコ 台などの部品や各種業務用機器類まで多岐に渡り、その各々に専門店があるほか、素人には分類不能なものを分解して半導体など電子部品を調達することを目的とした完全な「がらくた」を専門に扱う店もみられる。
またジャンク品と並んで、使途不明なオプション品(新品を含む)などが売られるケースがある。これらは何らかの本体が必要になるが、簡単な説明(あるいは憶測)が付いていれば良い方で、店側にも正体が判らない場合もある。中にはパッケージされた製品もあるが、基板が剥き出しの状態で売られ、取扱説明書もないため、端子や基板上のチップなどから用途を推定しなければならない。
ジャンク品の入荷は上述のような捨てられる予定の部品を一度に大量に仕入れるためまれに掘り出し物が含まれていることもあり、知識を持つ者にとってはそれが一つの魅力となっている。
音楽ソフト
1960年代 から1980年代にかけて、Hi-Fi オーディオ の流行とともに、音楽を嗜好する需要に着目した音楽ソフト(レコード、コンパクトディスク)を販売する小売店が増加した。当時から販売店舗が少なかった輸入版ソフトを広く取り扱っていたため、音楽マニアが多く訪れた。
1980年代後半はCDの普及とともに日本国内・日本国外問わず種類・在庫量ともに豊富な品揃えで隆盛したが、大型電気店での取扱いや外資系CDショップの国内展開、2000年代後半には電子商取引 やダウンロード による音楽配信 が主流となり、一時の隆盛は鎮まっているが、クラシック音楽 では外資系ショップでは入手できないような稀少品が店頭に並んでおり比較的安価で容易に入手できる。1990年代からは店舗で販促のためイベントを行うアイドル などが増加し、店頭にアイドルの等身大ポスターを掲げたり、楽曲を大音量で流しCDやDVD の店頭販売を行っている店舗もある。アニメショップ等ではアニメ・ゲーム・声優 関連のソフトに特化した品揃えを行っている。
アニメ・ゲーム・ノベル・コミック関連
ナルト コスプレ 、ゲーム とアニメ 店(2015年)
ファミコン などの家庭用テレビゲーム機が一般普及した1980年代頃より、各電器店でゲームソフトの取り扱いが増加。メッセサンオー など、一般の電器店からゲーム専門店に転換した店も現れた。1990年代に入ると、ゲーマーズ などゲームソフトのみならずサブカルチャー を総合的に扱う店も増加し、パソコンとインターネット の普及によりパソコンソフトはもとより成人向けのアダルトゲーム も売り上げを伸ばした。1990年代以後もゲーム・アニメ・ライトノベルなどの文化は成長し一般にも認知されていき、2000年代の萌え ブームの形成に際して大きな影響を与えた。
秋葉原ではそれらのカルチャーの先進地・発信地としてメイド喫茶 やコスプレショップ 、まんだらけ などの同人誌 販売店やアニメイト 、とらのあな などのアニメ・ゲームグッズショップ、フィギュア を販売・委託販売(→レンタルショーケース )したり、製作するためのパーツを売るボークス などのショップが多く誕生し、2000年代初頭からも販売不振で姿を消した家電販売店の跡地の空き店舗などに次々と開店し、この様なアニメやゲームのキャラクターのポスター、看板等を店先に出している店舗も多く見られる。ただし、家電店やパソコンショップと同様にその消長盛衰は激しく、数多くの店舗が現れる一方で、また姿を消している。
また、販売店のみならず、アニメ・ゲームソフトなどの企画・開発・制作などを行う企業が秋葉原の界隈に本社や何らかの拠点を構えていたり、あるいは過去に置いていた事例も多い。
防犯カメラ・防犯グッズ
セキュリティー商品の一般住宅向け用に需要が増加してきたため、防犯カメラ や防犯グッズ を取り扱う店舗が増えてきた。国内外を問わずに取り扱っていて、高性能の暗視カメラ やデジタルレコーダーなどを取り扱っている。防犯グッズは、『スタンガン』・『特殊警棒』・『防犯スプレー』・『防犯ブザー』などを置いている。
飲食店
秋葉原で営業する老舗の食堂(かんだ食堂 2018年3月閉店)
かつては貨物駅 と青果市場を抱えていたため、秋葉原駅周辺では荷役 業者や市場の出入り業者、市場で働く従業員を主な対象とした大衆食堂やラーメン店などが多数営業していた。だが、1975年に貨物駅が廃止となり、1989年に市場も大田移転に伴い閉鎖されると、それらの店舗の大半は姿を消した。サンボ 、あだちなど当時から営業を続けて現存する店舗もわずかに残るが、1990年代を通じて電気街の中だけでは飲食の需要に対し供給が絶対的に少なく選択肢も限られていたのが実情で、飲食時には秋葉原の外へ一旦出て店舗数が多くバリエーションも豊富で比較的安価な御茶ノ水・神田などの近隣の学生街 に向かうのも一般的であった。1990年代初頭にはファーストフード店やカレー店などが若干開店、休日の中央通りには屋台が数多く見られた時期もあったが、自治体の方針や警察の取り締まりにより路上営業の屋台は全て消えていった。1990年代中頃から従来より店を構える喫茶店 や定食屋、駅ビル内の飲食店などのほか、新規の外食産業も徐々に進出。この頃にはすでにチチブデンキ が店頭の自販機でおでん缶 を販売していた。また、秋葉原駅から昭和通り沿いやその通りを面した向かいに当たる地域は居酒屋などを中心に飲食店が多く店舗を構えており、電気街からは外れるがそちら飲食するものも一定数いた。
2000年代中期に秋葉原の再開発が進むと、観光客をターゲットに据えた大手外食チェーンの開業が相次ぎ、繁華街として賑やかさが増している。また中東・トルコ 系の羊肉料理であるドネルケバブ の店舗も数店ある。2005年6月には秋葉原駅昭和通り口に飲食店ビルアトレヴィ秋葉原 (現アトレ秋葉原2)が、2006年3月には秋葉原UDXビル 内に飲食街AKIBA_ICHIが開業し、2010年11月19日にはアキハバラデパート 跡地にアトレ秋葉原1が開店、テナントとして数多くの飲食店が入り、昼夜を問わず多くの人々に利用されている。
一方で、九州じゃんがら 本店をはじめとするラーメン の著名店の系列店やチェーン店が多数出店し、2004年には九十九電機 がラーメンマップを配布した[44] 。また、カレー 専門店の出店も相次いでおり、以前からあったカレー専門店やチェーン店、インド料理店なども含めて、カレー店の激戦区と化していると報道された[45] 。
喫茶店も、前述のようにサブカルチャー の台頭に伴い、メイド喫茶 の中心地かつ最先進地となったほか、ドトール やプロント 、スターバックス などの従来の大手チェーンも出店しており、多様化している。また、秋葉原周辺には元来オフィス街としての一面があり、同時に秋葉原駅はつくばエクスプレス の開業によりハブ駅 としての機能がより高まったことから、仕事帰りに寄る人や遅い時間までいる人をターゲットに閉店時間の遅い店舗や深夜営業を行う店舗も増え、居酒屋 やバー 、カラオケボックス やネットカフェ も多数秋葉原に出店している。
その他
神田青果市場があった頃から営業していた店舗(千代田海藻。2012年に解体)
以前はアキハバラデパート 南側出口前で様々な種類の商品の実演販売 が行われており、秋葉原名物の一つとして人気を集めていた。また、外国人観光客向けの免税店 が数多く存在しており、軒先には英語 、中国語 、韓国語 など様々な言語の看板やポップを見ることができる。日曜日の午後は中央通り が歩行者天国となり多くの人々で賑わう。
全国でも珍しいおでん缶 の自動販売機 は1990年代 初頭から存在している。2000年代 半ばごろからTVなどで報道されたことにより名物となり、自動販売機の設置されていた場所は一時は観光スポットにまでなった。現在は周辺のゲームソフト店やコンビニエンスストア 、ドン・キホーテ秋葉原店でもおでん缶を販売している。冬季は保温販売を行っているが夏季は常温販売のみの店が多い。
1990年代までの秋葉原の電機店・パソコンショップの多くは開店時間が遅く、閉店時間が早い店舗が多かった(正午頃開店し20時頃には閉店など)。電気街は夜になると営業する店もほとんどなかったが、再開発後はゲームセンターやドン・キホーテ、ヨドバシカメラなど多くの店舗が遅くまで営業を行っており、現在ではパソコンショップやアニメショップ、メイド喫茶 なども営業時間を21時〜23時頃までにしている店舗が多い。
明神坂ガード下の柱には2010年代前半まで「蔬菜(そさい)東口売場」という文字[46] が残っていたほか、アキバ田代通り周辺に一部残る青果店舗など、神田青果市場が営まれていた名残を目にすることができる。
古書・書籍の町、神田神保町 (神田古書店街 )と近く、秋葉原と徒歩で行き来する買い物客も多い。
問題点
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路上駐車・路上喫煙
駐車取締り 中央通りにて(2006年9月4日撮影)
秋葉原全域は「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」(千代田区生活環境条例:平成14年6月25日千代田区条例第53号)により、路上禁煙地区(秋葉原駅周辺路上禁煙地区)、環境美化・浄化推進モデル地区(秋葉原駅周辺環境美化・浄化推進モデル地区)に指定されているほか、中央通りは違法駐車防止重点地区(中央通り違法駐車等防止重点地区)にも指定されている[47] 。路上喫煙、吸い殻・空き缶等のポイ捨て 、落書き、置き看板等の放置を行った場合、禁止行為の再発のため、改善命令と2万円以下の過料 (当面2,000円)が科せられるほか、改善命令に従わない場合は5万円以下の罰金 と氏名・住所等の公表、告発 が行われる[48] 。駐車 問題に関しては2006年(平成18年)6月より改正・強化された道路交通法 により改善され、この改正で駐車監視員 の姿も見られるようになったほか、万世橋警察署 も中央通りにパトロールカー を待機させるなど違法行為の警戒にあたり、取締りが強化されている。
駐車場の確保はこの地区が抱える問題として広く認知されており、休日等に発生する付近道路の駐車場入場待ちの渋滞対策として、長らく駅前広場(神田市場の跡地)に仮設駐車場が設けられていたが、駅前再開発事業の進捗に伴い2004年(平成16年)5月で廃止された。現在は再開発地区内にある秋葉原UDX ビルの地下に外来用として収容台数800台規模の自走式駐車場(秋葉原UDXパーキング )が設置されている(高さ制限2.4m)。また、ヨドバシカメラマルチメディアAkiba の地下2階から地下6階には5層にも及ぶ自走式駐車場が設置されている(高さ制限2.1m)。前述の駐車場以外には秋葉原ダイビル駐車場や富士ソフトビル駐車場が営業を行っているほか、いくつかの機械式駐車場も営業を行っている。
キャッチセールス・詐欺まがい行為
街頭での勧誘、セールスは秋葉原ではよく見られる光景だが、中にはキャッチセールス や詐欺 ・詐欺まがいのものもある。具体例としては以下のようなものがある。
絵画商法
2001年 頃から秋葉原に進出してきたキャッチセールス。秋葉原各所、特にラジオ会館付近に出没し、女性が絵はがき を配布して受け取った人を画廊に案内し言葉巧みに絵画を高額で購入するよう勧誘する。
募金詐欺
1980年代にその数が増加した詐欺手口。駅周辺やガード下で「災害義援金」、「途上国支援」などと称して募金活動を行っているが、実際には寄付を行わない団体もある。正規の許可証を所持していないこともある。
手相 鑑定
路上で通行人に「手相の勉強をしているので手相を見せてくれないか」などと声をかけ、手相鑑定のような行為を行う者が出没している。その実態は宗教団体による勧誘活動であり、相手にすると執拗に連絡先を聞かれ、入信や物品の購入などを迫られる。
インターネットプロバイダー加入の勧誘
2000年代に入り、インターネットの普及に伴い街頭で勧誘を行うパソコンショップも増えてきた。一部のインターネットサービスプロバイダー (TEPCOひかり 、au one net など)の代理店であるパソコンショップが店頭や路上でチラシを配るなどの光景を見ることができる。その場で強制的に加入させられることはないが、高額なパソコンを安価で販売する条件として、解約に違約金が必要な長期契約を勧めることもある[49] [出典無効 ] 。
非合法関連商品の販売
秋葉原では非合法にコピーされたゲームソフト・ビジネスソフトなどが露店形式で販売されていることがある。特にゲームソフトは古くは「Xin1」という、一つのゲームカートリッジに複数のゲームソフトが収録されたものや、オリジナルを無許可で真似て製作したいわゆる海賊版 カートリッジ(Xin1同様中国や東南アジアで作られている)が売られていた。
マジコン 関連商品、CATVスクランブル解除装置、ピッキング工具、超小型マイクなど、犯罪にも使用可能な商品も売られている。また白ロム携帯電話も売られており、それ自体は非合法ではないが盗難や紛失の届け出が出ていて経緯が不明瞭なものも売られていることがある。
アキバ狩り(おたく狩り)
2006年に秋葉原に買い物に来た男性が恐喝の被害に合うという事件が複数発生した。2006年9月28日、警視庁 少年事件課が秋葉原で恐喝をしていた少年グループを逮捕したが、犯人の少年達は「アキバ系の男性は体力が弱い上金がある」というオタクに対するイメージにより犯行に至ったという。これらの恐喝行為は一部のメディアで「アキバ狩り」、「おたく狩り 」と称されて紹介された。これ以降パトロールが強化されたこともあり、路上で警視庁 の警官が職務質問 により通行人の手荷物を検査する光景も見られるようになった。
その他(路上パフォーマンス問題など)
サブカルチャーの街となってからは休祝日の歩行者天国ではインディーズ 系バンドやいわゆるアキバ系アイドル のストリートパフォーマンス、メイド喫茶 などのビラ配りなどの光景が散見されるようになり、さらにそれらを取り囲む歩行者やカメコ (カメラ小僧の略)の輪も苦情の原因となっていた。万世橋警察署 では対策として「歩行者天国での路上ライブ・物品販売等を禁止」とする立看板を設置しており、さらにはヨドバシAkiba 前の交通広場(都営バス ・リムジンバス ・タクシー乗り場)にも、2007年7月の連休から「ライブ行為禁止」の手書き看板が設置され、取締の強化を印象付けた。また、道路の無許可使用で任意同行となるパフォーマーも出ており、この話題は各情報番組[50] でも伝えられ、卑猥なパフォーマンス内容が話題をさらった。その後「わいせつな見せ物を公共の場で提供した」として東京都迷惑防止条例 違反の疑いで30歳(当時)の女性が警視庁 に逮捕されている[51] 。
こうしたモラルの問題に加え、2008年 6月に発生した秋葉原通り魔事件 を受け、歩行者天国は当面中止されることとなったが、再開を望む署名活動が行われたほか、商店会も集客のため再開を要請、千代田区や警察などの行政と町会・商店会・電気街振興会などの地域団体や企業などが歩行者天国の運営の自主ルールとして「秋葉原協定[52] 」を策定、事件のあった交差点を完全に車両通行止めにした上で距離を短縮して2011年1月23日より試験的に再開された。
年末や盆休み 、コミックマーケット などの近隣の大規模イベント前後は全国から多くの人々が訪れ、また年始には神田明神 への参拝客の列で神社周辺の道路が混雑する。これらの時期に発生する周辺店舗や路上の混雑に伴うゴミの増加などはこの地区が抱える課題となっている。
エリア放送
エリアポータルが地上一般放送事業者 としてフルセグおよびワンセグ放送 を実施している。
地上一般放送局が1局[53] 設置されている。
公共交通機関
鉄道
秋葉原駅
JR東日本 総武線 ・山手線 ・京浜東北線
東京メトロ 日比谷線
首都圏新都市鉄道 つくばエクスプレス
JR線は総武緩行線ホームが3階、山手・京浜東北線が2階ホームを使用している。東西にそれぞれ昭和通り口・電気街口が、その中間に中央改札口がある。
東京メトロ日比谷線は昭和通り直下を通っており、JR線からは昭和通り口が隣接している。
つくばエクスプレスは山手・京浜東北線と昭和通りの中間に位置する地下にあり、入り口はJRの中央改札口に近い。
末広町駅
東京メトロ銀座線
電気街の北端。中央通りと蔵前橋通りとの交差点(外神田5丁目交差点)直下に駅があり、上下線ホームの相互連絡通路はなく、逆側のホームへ移動するには地上へ出て交差点を横断しなければならない。上野広小路駅 (銀座線)・湯島駅 (千代田線 )も末広町駅から徒歩5分程度の場所にある。
電気街は末広町駅と秋葉原駅との間の中央通りを中心に広がっており、この駅を利用して秋葉原を訪れる人も多い。
神田駅
東京メトロ銀座線
電気街よりも南、中央通り直下。6番出入口は万世橋から南へ約200メートルの須田町交差点にあり、電気街の南寄りの地域へは末広町駅より近い。
岩本町駅
淡路町駅 ・小川町駅 ・新御茶ノ水駅
東京メトロ丸ノ内線 (淡路町駅)
都営地下鉄新宿線(小川町駅)
東京メトロ千代田線(新御茶ノ水駅)
神田川の南側であるが、淡路町駅・小川町駅とも電気街南端には徒歩10分足らずの距離。都営新宿線であれば、岩本町駅よりも小川町駅のほうが電気街、特に西寄りの地域には近い。新御茶ノ水駅の場合、小川町駅 - 淡路町駅との地下通路を経由するよりも、御茶ノ水駅 乗り換え口から出て聖橋 を経由し、電気街西端エリアに向かった方が近い。
御茶ノ水駅
路線バス
都営バス
[秋26]秋葉原駅 - 清澄白河駅 - 境川 - 旧葛西橋 - 江戸川車庫 - 葛西駅
運行頻度は毎時約2 - 3本。
以前はJR電気街口サトームセン (現:LABI秋葉原パソコン館 )前に停留所があったが、つくばエクスプレス開業に併せた駅周辺整備により、現在の交通広場に移転された。またそれに伴い、休日の歩行者天国 実施時間帯の秋葉原駅付近における経路変更も終了となった。
[茶51]駒込駅 南口 - 向丘二丁目 - 東大 正門 - 本郷三丁目駅 - 御茶ノ水駅 - 秋葉原駅
運行頻度は毎時約2 - 4本。
早朝・夜間は駒込駅方面からは御茶ノ水駅止まりであるが、外神田二丁目停留所から電気街へ徒歩3分ほどで行ける。ただし駒込駅方面への乗り通しは認められていない。秋葉原駅交通広場まで乗り入れている朝 - 日中は万世橋停留所で降りると電気街に近い。
都電 19系統(通り 三丁目 : 王子駅)に由来を持ち、かつては東京駅 と王子駅 を結んでいた系統である。交通事情の変化などによる区間の変更を経て、秋葉原駅には2007年 に初乗り入れとなった。
[S-1]東京駅 丸の内北口 - 日本橋三越 - 須田町(秋葉原) - 上野松坂屋 - 浅草雷門 - リバーピア吾妻橋 - とうきょうスカイツリー駅 入口 - 錦糸町駅 前
通称「東京→夢の下町」と称される、東京の観光スポットを結ぶ路線。路線の大半は上野松坂屋始発のため、秋葉原を通過する便は土曜・休日の4往復のみ。
AKIBA SHUTTLE(日立自動車交通 、運行休止中)
[秋葉01系統]秋葉原駅 - (直行)- 東京スカイツリータウン 前(浅草通り)
[秋葉03系統]秋葉原駅 - (直行)- 浅草雷門前
その他、高速バスについては秋葉原駅 を参照のこと。
史跡
神田明神
秋葉原を含む旧神田区 と旧日本橋区 (現:中央区北部)を氏子 に持つ神社。江戸総鎮守 。秋葉原電気街から程近い場所にあり、正月や神田祭 の時期には大勢の人で賑わう。神田明神では「IT情報安全守護」という秋葉原に因んだお守り を発売している。
施設
ランドマーク
官公庁・郵便局
教育機関
医療
三井記念病院
UDXクリニックモール
秋葉原メディカルクリニック
秋葉原腎クリニック
秋葉原駅クリニック
林医院
アキバ歯科 - 萌えをコンセプトにした歯科医院
主な企業
金融機関
橋
公園
秋葉原公園 - 水上貨物用割り堀跡
芳林公園
練成公園
その他
国鉄 のマルス (指定券 販売システム)はかつて、この秋葉原にホストコンピュータ が置かれていた(現在は国分寺市 に移転)。システムを構成するハードウェア の補修部品を手に入れやすいというのがここに設置された理由の一つである。当時のマルスセンターの建物は、JR東日本 秋葉原ビル(JR秋葉原駅に隣接)として2016年5月まで現存していた。
秋葉原を題材・舞台とした作品
小説
エッセイ
漫画
秋葉原が主たる舞台となった作品
秋葉原が舞台となったエピソードがある主な作品
『げんしけん 』木尾士目 :本作を原作としたテレビアニメ作品あり。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所 』秋本治
24巻「サムライ!の巻」
100巻「両さんの秋葉原案内の巻」
151巻「ようこそアキバへ御主人様の巻」など。
『らき☆すた 』美水かがみ :本作を原作としたテレビアニメ・ゲーム作品あり。主人公の泉こなたが度々訪れている。
『月下の棋士 』能條純一 :作中に秋葉原の将棋 クラブ(秋葉原駅昭和通り口近くに「秋葉原将棋センター」が実在する)での対局シーンが登場する。
『ハチワンダイバー 』柴田ヨクサル :同上。本作を原作としたテレビドラマ作品あり。
『BOOM TOWN』内田美奈子 :TRIP.7.5(単行本2巻)「ネオアキハバラの大変」。作中年代(未来)の秋葉原である“ネオアキハバラ”が舞台。登場人物も「ネオ・アキバ」と呼んでいる。TRIP.3(1巻)TRIP.19(3巻)にも出てくる。
『電波教師 』東毅
アニメーション
ゲーム
一般向けゲーム
『ナイトウィザード 』:テーブルトークRPG 。公式リプレイの多くは秋葉原が舞台。アニメ版でも舞台の一つとなっている。
『セイギノヒーロー 』:ガンシューティングゲーム。「ザ・警察官 〜真昼の大捜査線〜」に登場。
『サルゲッチュ ミリオンモンキーズ』:アクションゲーム 。秋葉原中央通り がMISSION3の「輸送トレーラーを撃破せよ!」とMISSION27の「輸送トレーラーを守れ!」のステージとして登場する。ちなみにエリアM3-2とエリアM27-2の中間地点にアニメイト 秋葉原店がそのまま出ている。
『セガガガ 』:舞台の一つとして秋葉原が登場。メッセサンオー が登場する。
『ポスタル 』:パワーアップキットを使用した後に追加されるステージとして秋葉原が登場。
『機動警察パトレイバー 〜ゲームエディション〜 』:第3話・第5話の舞台が秋葉原。中央通り・昌平橋通り・神田明神通り・蔵前橋通りで囲まれたブロックがモデルのようだが再現度はさほど高くない。
『ai sp@ce 』:ゲーム中の中心地として「アキハバラ島」が登場。秋葉原駅前商店街振興組合の協力により、現実の秋葉原の街並みが3Dで忠実に再現されている。
『STEINS;GATE 』:アドベンチャーゲーム。秋葉原にある各店舗に許可をもらっているため、CGや本文で現実同様の店名をほぼそのまま出している(無論、現実と異なる部分もある)。また、『もし秋葉原が昔同様の電気街だったら』というifが劇中で起きる。
『AKIBA'S TRIP 』:アクション・アドベンチャーゲーム。多数の実在の店舗とタイアップしており、秋葉原の町並みを忠実に再現している。この作品を元にしたテレビアニメも放送されている。
『ぱすてるメモリーズ 』:スマートフォン向けロールプレイングゲーム。オタク文化が衰退した未来の秋葉原を舞台としている。この作品を元にしたテレビアニメも放送されている。
『じんるいのみなさまへ 』:ガールズアドベンチャーゲーム。荒廃した秋葉原で5人の少女たちがサバイバル生活を送る。
アダルトゲーム
テレビドラマ
楽曲
映画
その他
参考文献
関連書籍
書籍
雑誌記事
『Forbes日本版』2006年7月号 ぎょうせい
秋葉原(町丁)
秋葉原 (あきはばら)は、東京都台東区 の地名。「丁目 」の設定がない単独町名である。郵便番号 は110-0006[55] 。
地理
台東区南西部に位置し、下谷地域 に属する。東は昭和通り 、北は蔵前橋通り 、西は千代田区 外神田 四丁目、南は千代田区神田練塀町 と神田松永町 に接する。
上述の、「地域名としての『秋葉原』」の北東端に位置する。
地名の変遷
実施後
実施年月日
実施前(各町名ともその全域)
秋葉原
1964年 10月1日
下谷松永町、下谷練塀町
世帯数と人口
2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[54] 。
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[58] 。
脚注
注釈
^ 正式な交差点名ではないが、愛三電機 本社に設置されているライブカメラ 等の紹介記事では「秋葉原中央通り交差点」と通称している[2] 。
^ 例えば、電子部品屋では何の役に立つか分からない破片や法的にグレーな怪しい製品が売っていたり、メイドカフェでは素人の女性がメイドとして接客するようなものなど。
^ 一時代を築いたラオックス の「ザ・コンピュータ館」も、元は一般の家電店を出店する計画だったのが、商店会の反発に遭い、パソコン関連の専門店にしたという経緯がある。
出典
関連項目
電気街
大須 (名古屋 都心に存在する日本を代表する電気街の一つ)
寺町通 (京都の電気街)
日本橋 (大阪にあり、「にっぽんばし」と読む。関西のアキバと称される、本邦第二の電気街)
巣鴨 (秋葉原電気街の電子部品を取り扱う会社のいくつかは、巣鴨を本拠にしていた)
メディア
文化
河内山宗俊 - 現:中央口マクドナルド近辺に屋敷があった。後の作家正岡容 はここで生まれたとしている。
AKB48 :秋葉原に本拠地の劇場を持ち、ほぼ毎日公演を行っている。
アキバ系 :パソコン・アニメ・ゲーム・アイドルなど秋葉原で特徴的な文化を愛好する者のことを言う。
アキバ系アイドル - 秋葉原を中心に活動するライブアイドルや、アキバ系のおたく趣味を自身の特徴として持つアイドルらをいう。
メイド喫茶
コスプレ喫茶
桃井はるこ :早くからアキバ系のおたく趣味を前面に出したライブアイドル活動を行い、「元祖アキバ系アイドル」、「秋葉原の女王」などとして知られる。
桜川ひめこ :秋葉原を中心に活動する歌手・タレント。「元祖アキバ系」と呼ばれ、「アキバに行くのん!」という楽曲を発表している。
その他
外部リンク
日本の家電量販店
ヤマダホールディングス
ビックカメラグループ
エディオングループ
ケーズホールディングス
ラオックスグループ
その他の大手(上位10社内) 独立系他 家電小売事業から撤退した企業 他社へ吸収された企業 廃業し法人格が消滅した企業 電気街 その他関連項目 その他関連テンプレート
(★ - フランチャイズ 契約会社、▽ - 法人格消滅会社)
パソコンショップチェーン
現存するチェーン 店舗網展開をやめたチェーン 法人格が消滅したチェーン 関連項目
座標 : 北緯35度41分54秒 東経139度46分23秒 / 北緯35.69836度 東経139.77313度 / 35.69836; 139.77313