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オンタリオ州
英 : Ontario 仏 : Ontario
モットー : "Ut Incepit Fidelis Sic Permanet" (Loyal she began, loyal she remains)
オンタリオ州 (オンタリオしゅう、英 : Ontario 英語発音: [ɒnˈtɛərioʊ] ( 音声ファイル ) 、仏 : Ontario )は、カナダ の州 の1つ。
カナダの州の中では最も人口が多く、国全体の約39%がこの州に集まっており、カナダの政治 ・経済 の中心となっている。カナダ中東部に位置し、州都はカナダ最大の都市トロント 。連邦政府 の首都 オタワ はイギリス系の当州とフランス系のケベック州 との境界に位置するが、アメリカ合衆国 の首都ワシントンD.C. などのような中央政府直轄地ではなく、あくまでオンタリオ州に属する一都市という位置づけにある。
歴史
連邦に加盟するまで
ヨーロッパ からの移民 がやってくるまでは、この地域はアルゴンキン 族、オジブワ 族、クリー 族(Cree)含む)、およびイロコワ 族(ヒューロン族 (Huron)含む)が住んでいた。17世紀 初頭よりヨーロッパの探検家がやって来て、イギリス人はハドソン湾 岸、フランス人は主に五大湖 周辺に植民を開始した。
1763年 に締結した七年戦争 の講和条約「パリ条約 」により、北米のフランス領土(ヌーベル・フランス )はほとんどすべてイギリスに譲渡することになった。1774年にはオンタリオも英領ケベック として併合。その後1783年 から1796年 の間、アメリカ独立戦争 を受けて、イギリスは本国政府に従順で、独立13州を離れオンタリオ地区へ流入する市民を援助した。この期間にオタワ川 以西の地域の人口が増加。
1791年 に旧ケベックがオタワ川を挟んで東側の「ローワー・カナダ 」(Lower Canada、現在のケベック州 )と西側「アッパーカナダ 」(Upper Canada、現在のオンタリオ州)の2地域に分割統治されることになった。
1812年 、米軍が侵入したがイギリス軍と先住民族 の共同軍で防戦。但し1813年 のヨークの戦い でヨーク(現在のトロント )を一時占領され焦土となった。戦後、本国からの移民が増え、政争・蜂起が起こり、カナダ全土(当時のアッパーカナダとローワーカナダ)に広がった。
その後、蜂起が収まり、本国政府はケベックに自治権 を与える条件でカナダ地域を再度統合し、オンタリオでも1848年 に議会制自治政治が開始された。以後アメリカ南北戦争 などでの更なるアメリカからの侵略に備え、北米における英領植民地の広範囲の統合するため、1867年 7月1日 に英領北アメリカ法 が制定され、「カナダ自治領」(Dominion of Canada)が成立。カナダ自治領は4つの州 - オンタリオ、ケベック 、ノバスコシア 、ニューブランズウィック -で構成された。そのときトロントが州都となった。さらに1889年 には北西オンタリオ地域が正式にオンタリオ州に併合された。
その後の歴史的出来事
19世紀 末よりオンタリオ州北部の鉱物資源 が注目され始めた。またオンタリオでの水力発電 も盛んになったことから、オンタリオ水力発電委員会(Hydro-Electric Power Commission of Ontario)、後のオンタリオ・ハイドロ (Ontario Hydro)が設立された。20世紀 にはゼネラルモーターズ (GM)とフォード がオンタリオ州に工場を設立、主要産業となる。
第二次世界大戦 後、特にトロント大都市圏を中心に世界各国からの移民を受け入れ、オンタリオ州はカナダの中でも最も経済成長の大きな地域となる。
地理
ナイアガラの滝
参照:オンタリオ州の自治体一覧
地図
オンタリオ州は、北は北極海 につながるハドソン湾 に面し、南は五大湖 のオンタリオ湖 、エリー湖 、ヒューロン湖 、スペリオル湖 に面し、カナダ 国内ではもっとも南に位置する地方を含む。東はケベック州 に接し、西はマニトバ州 に接する。
「オンタリオ」はネイティブ のイロコワ 族の言葉で、「美しい湖(水)」という意味であり、オンタリオ州には湖がおよそ25万箇所、川は10万キロにわたる。
オンタリオ州は地理的には3つの要素に分かれる。北西部と中部の鉱物資源 の豊富なカナダ楯状地 、北部のハドソン湾岸の森と沼地で覆われた湿地帯、そして南部の最も人口の多い、肥沃な五大湖 岸〜セントローレンス渓谷 (Saint Lawrence Valley)という農工業の盛んな地域。
ナイアガラの滝 はオンタリオ州と米ニューヨーク州の境にあり、カナダ滝がアメリカ滝より大きい。
世界各国からの移民 が多く、オンタリオ州の多民族な特徴を形成している。
人口のうちフランス語 を話す州民は約5%であり、フランコ・オンタリオン と呼ばれる。州の公用語にはなってないものの、フランス語人口はケベック州についで大きく50万人以上に上る。主にオタワ 周辺と北オンタリオ地方 でフランス語が使われている。北オンタリオ地方 最大の都市、サドバリー では人口の3割ほどがフランス語を使用している。
国立公園・州立公園
主要な都市
州政府と政治
州都 トロント にあるオンタリオ州議会議事堂
1867年英領北アメリカ法 (BNA法、1867年憲法法 )69条により、「副総督 と一議院 によって構成され、オンタリオ立法議会 (Legislative Assembly of Ontario)と称するオンタリオの立法府 を設置する」と規定されている。議会は州全地域の選挙区 より小選挙区制 にて選出された代表107議席から成る。一院制 。
立法議会は州都 トロント のクイーンズパーク にあるオンタリオ州議会議事堂 (Ontario Legislative Building)に設置されている。議院内閣制 のウェストミンスター・システム に基づき議会で最大議席を獲得した政党 の首班が「(州の)首相 (premier)および執行評議会(Executive Council、内閣 に当たる)の長」となる(1990年オンタリオ執行評議会法)。州首相は閣僚 、つまり執行評議会=内閣の構成員(「国王君主 に使える大臣 」とみなされる)を選ぶことになっている。
1990年オンタリオ執行評議会法では州議会議員を「議会の構成員」と呼んでいるが、現在では通常英語では「MPP(Members of the Provincial Parliament、州議会構成員)」、フランス語では「立法議会代表(députés de l'Assemblée législative)」と呼ばれている。英語では「MLA(Members of the Legislative Assembly、立法議会構成員)」と呼ばれることもある。オンタリオの(州)首相は「Premier」と呼ばれる。
政治
オンタリオ州では多くの政党が選挙に参加する。現在の三大政党はオンタリオ自由党、オンタリオ進歩保守党、オンタリオ新民主党である。これらの三党はいずれも1990年以降に絶対多数を獲得したことがある。
現在、オンタリオ州では自由党ダルトン・マクギンティ (州)首相 が率いる少数政権である。2011年の総選挙では第一党となったが53議席であり、進歩保守党が37議席、新民主党が17議席を獲得した。
またカナダ総選挙 (カナダ国会 での下院 議員選挙)では、カナダ保守党 が71議席、新民主党 が22議席、カナダ自由党 が11議席を獲得した。オンタリオではカナダ緑の党 は議席を獲得していない。
経済
オンタリオはカナダの製造業を牽引する州であり、2004年には国内工業出荷額の52%を占めた。特に自動車産業が盛んであり、州内にはゼネラルモーターズ 、フォード 、クライスラー 、トヨタ 、ホンダ が自動車の組立工場を有している。また、ハミルトン は鉄鋼業、サーニア は石油化学工業で有名である。州都トロント はカナダ金融業の中心であり、オタワ やウォータールー ではIT産業が盛んである。北部ではサドバリー やティミンズ などを中心に、豊富な鉱物資源および森林資源を活かした鉱業および製紙・パルプ工業が行われている。
主な会社など
オンタリオ州に本拠地のある企業には以下のようなものがある。
金融
輸送用機器
情報通信・メディア
鉄鋼
食品
小売業
芸術・文化
スポーツチーム
その他
出身有名人
縁のある人物
交通
出典
関連項目
外部リンク
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