ヘッタンギアン(英語: Hettangian)は、2億130万年前(誤差20万年)から1億9930万年前(誤差30万年)にあたる前期ジュラ紀の地質時代の一つ[1]。
模式地はフランスのロレーヌ地域圏のヘッタンジュである[2]。
日本語では言語的揺らぎによって「ヘッタンジアン[3]」「エタンジュ期[4]」など、多数の別称がある。
なお、「ヘッタンギアン階」などという名称があるが、時代を示すものではない。「階」は地層に対して当てられる単位(層序名)であり、層序名「ヘッタンギアン階」と時代名「ヘッタンギアン期」は対を成す関係である。詳しくは「累代」を参照のこと。
地質学的定義
ジュラ系の基底、すなわちヘッタンギアン階の基底は、アンモナイトの属プシロセラス(英語版) Psiloceras が初めて出現する地質柱状図上の場所として定義される。基底の国際標準模式層断面及び地点 (GSSP) は2010年にオーストリア西部カルウェンダル(英語版)に位置するクーヨッホ(英語版)が指定された[5][6]。
生物
カーニアンからヘッタンギアンにかけては二枚貝の科数が急激に増大した時期にあたる[7]。ただし三畳紀とジュラ紀の境界でもあるレーティアン/ヘッタンギアン境界で顕生代四度目となる大量絶滅が発生しており、事実上テチス海から消滅したサンゴはヘッタンギアンの間に以前の水準まで回復することはなかった。コノドントは三畳紀末の大量絶滅で絶滅を迎えた[8]。三畳紀のうちに出現した魚竜は絶滅率こそ大きくなかったものの、その形態的な多様性を永久に失い[9]、パルヴィペルヴィア類のみが生き残った[10]。タニストロフェウス科(英語版)やプロコロフォン科(英語版)など魚竜以外にも多くの爬虫類がヘッタンギアンの始まりまでに絶滅したとされるが、レーティアンとヘッタンギアンはいずれも陸上生物の化石に乏しく、その絶滅を詳細に綴ることは難しい[8]。
詳細はT-J境界を参照。
日本において
宮城県本吉郡歌津町と志津川町には下部ジュラ系の志津川層群が分布する。主に砂質泥岩から構成される同層群上部層である細浦層からは、ヘッタンギアンからアーレニアンにかけてのアンモナイトが産出する[11]。新潟県蒲原山地西部に分布する付加体のうち玄武岩類とチャートが卓越する上部ユニットもヘッタンギアン階に相当する[12]ほか、福井県小浜市西部の超丹波帯と丹波帯境界付近の珪長質凝灰質泥岩は産出した放散虫(Pantanellium browni や Natoba 属)がそれぞれ中期ヘッタンギアン - 中期シネムーリアン、後期ヘッタンギアン - 前期シネムーリアンとされるため、Natoba の産出に合わせた地質時代に相当するとされる[13]。島根県南西部鹿足郡吉賀町に分布する樋口層群の下部層もまたヘッタンギアン - シネムーリアン階と判断されている[14]。
出典