赤津町(あかづちょう)は、愛知県瀬戸市東明連区の町名。丁番を持たない単独町名である。
地理
河川
- 木ノ下川(赤津川支流) : 町の南東端部、中畑町との境界付近を西流している。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[11]。
歴史
町名の由来
かつてこの地は「飽津保(あきつほ)」「飽津(あくつ)」と呼ばれており、これがのちに訛って赤津となったといわれる。瀬戸町と合併して町名を設定する際、赤津の町名がなくなることを恐れた地元の人々は、赤津村の中心地である北窯島と西窯島の一部を赤津町として残すこととされたものである。
沿革
この項では、赤津の地名の変遷についても述べる。
世帯数と人口
2024年(令和6年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年)
|
55世帯 |
[18]
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2000年(平成12年)
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51世帯 |
[19]
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2005年(平成17年)
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58世帯 |
[20]
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2010年(平成22年)
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45世帯 |
[21]
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2015年(平成27年)
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38世帯 |
[22]
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2020年(令和2年)
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46世帯 |
[23]
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交通
鉄道
町内に鉄道は走っていない。最寄り駅は、名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅になる。
バス
名鉄バス「本地ヶ原線」
名鉄バス「東山線」
- 【11】【12】瀬戸駅前 - 一里塚 - 赤津 系統
- 以上、2路線3系統共通 : 大松バス停
道路
-
愛知県道22号・33号標識(赤津町交差点東)
-
愛知県道33号・212号標識(同)
施設
150 m
9
8
7
6
5
4
3
2
1
略地図
1
赤津焼工業協同組合
2
飽津窯 宮地生成工房
3
菊陶園
4
ギャラリーてしごと屋
5
拝戸窯 稲山
6
喜多窯 霞仙
7
作助窯
8
有限会社三陶
9
玉樹窯
- 赤津焼工業協同組合(赤津焼会館) : 赤津焼の研究資料・民俗資料保存を目的として建設された[24]。
- 飽津窯 宮地生成工房 : 赤津瓦の屋根を施した、築100年を経た木と土のぬくもりを感じられる心落ち着くギャラリー[25]。
- 菊陶園 : 粉引、焼〆、御深井、三島など数種類の器を、旧い絵描き場そのままの展示場に展示している[26]。
- ギャラリーてしごと屋 : 風通しのよい山小屋風のギャラリー。陶器の作品だけでなく、手編みのカゴやリースなど、自然の要素を感じさせる雑貨も展開[27]。
- 拝戸窯 稲山 : 赤津焼伝統工芸士の窯元。織部・黄瀬戸・御深井等の釉薬や、麦わら手(ラク十草)・織部絵・削ぎ紋の加飾した器の製造販売をしている[28]。
- 喜多窯 霞仙 : 江戸時代から12代続く赤津焼の窯元。併設のギャラリーでは窯元価格で作品の購入も可能。赤津焼の説明やワークショップも開催[29]。
- 作助窯 : 150年以上続く、瀬戸赤津の名門窯「作助」。陶祖・加藤四郎佐衛門景正に続き、現在も技を受け継ぎ作陶を続けている[30]。
- 有限会社三陶 : 歴史ある織部焼窯元。ブランド物から普段使いの器まで、数千点の品揃えが楽しめる[31]。
- 玉樹窯 : 瀬戸赤津の伝統の意匠を凝らした器が並ぶ。自分用にも、贈り物にも最適な商品を見つけることができる[32]。
-
赤津焼会館
-
飽津窯 宮地生成工房
-
菊陶園
-
ギャラリーてしごと屋
-
拝戸窯 稲山
-
喜多窯 霞仙
-
作助窯
-
有限会社三陶
-
玉樹窯
その他
日本郵便
脚注
出典
注釈
- ^ このとき、同時に旭町大字今・旭町大字美濃ノ池も瀬戸町に編入している。
- ^ a b 信号のない交差点である。
参考文献
- 東春日井郡 編『東春日井郡誌』東春日井郡、1923年。
- 瀬戸市 編『昭和18年8月9日施行 町名設定調書(其ノ三)赤津地区』瀬戸市、1943年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 編『郷土史研25周年誌-瀬戸・尾張旭の寺社・街道・地名-』瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会、2020年。
関連項目
外部リンク
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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わ行 | |
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廃止 | |
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注 | |
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