門前町(もんぜんちょう)は、愛知県瀬戸市東名連区の町名。丁番を持たない単独町名である。
地理
河川
- 赤津川 : 町の西端、塩草町との境界付近を南流している。
- 門前川(赤津川支流) : 町の西部を南西に流れ、赤津川に注ぎ込んでいる。
- 東山路川(赤津川支流) : 町の南端、山路町・西山路町との境界付近を西流している。
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赤津川(門前町内)
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東山路川(門前町・西山路町境)
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[10]。
歴史
町名の由来
1464年(寛政5年)頃、今村城主松原下総守広長公がこの辺りに出城を築いた。この城の門前に町ができたところから門前町になったと言われる[注釈 1]。
沿革
- 江戸時代の村絵図では、赤津川左岸に「シミス(清水)、トチノキ、ソリミヤケ、定引井戸尻」の地名が記されていた。
- 1943年(昭和18年)8月9日 - 瀬戸市大字赤津字門前・辻屋戸の各全域により、同市門前町として成立。
世帯数と人口
2024年(令和6年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
交通
鉄道
町内に鉄道は走っていない。最寄り駅は名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅になる。
バス
町内にバスは走っていない。最寄りのバス停は、名鉄バス「東山線」【11】【12】系統の万徳寺前バス停になる。
道路
施設
750 m
1
- 宗林寺 : 大正末期に日蓮宗身延総本山から布教所を開設したのが始まりで、その後龍現院日雨上人が身延山の末寺を移転して建立された[19]。
その他
日本郵便
脚注
出典
注釈
- ^ この付近に矢先と呼ぶ弓の訓練場(矢場)の跡が今でも残っている。
- ^ a b 2020年10月の国勢調査では0世帯0人であるが、同時期の瀬戸市 人口と世帯では3世帯6人となっている。
- ^ 門前町内は高架区間となっているため、通過するのみである。
- ^ 通過するのみである。
参考文献
- 瀬戸市 編『昭和18年8月9日施行 町名設定調書(其ノ三)赤津地区』瀬戸市、1943年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 編『郷土史研25周年誌-瀬戸・尾張旭の寺社・街道・地名-』瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会、2020年。
関連項目
外部リンク
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